【聖句】
わたしたちは主のもの、その民
主に養われる羊の群れ。
(旧約聖書・詩編100編3節)
【黙想】
わたしたちは主のものなのです。
わたしたちは神の民なのです。
主に養われる羊なのです。
この真理に留まっていよう。
あなたは羊飼いではなく、
あなたは狼でもなく、
あなたは羊なのです。
羊は、羊飼いのもとにいる
ときが一番幸せであり、
いちばん安全です。
羊には羊の戦い方があります。
それは狼の戦い方とは異なります。
羊は、
腕っぷしの強さ、
牙の鋭さ、
足の速さ、
そんなもので戦おうとしてはいけません。
そんな、狼の戦い方をまねても
良いことはありません。
羊の戦い方。
それは、
あくまで主に養われる羊でありとおすことです。
かつて少年ダビデが、
巨人ゴリアトに戦いを挑もうとしたとき、
サウル王はダビデに自分の装束を着せました。
ダビデの頭に青銅の兜をのせ、
身には鎧を着けさせました。
その装束の上に
サウル王の剣を持たされました。
するとダビデはこう言いました。
「こんなものを着ていたのでは、
歩くこともできません」。
そういって彼は鎧兜も、
武具もすべて脱ぎ去り、
ただ石ころだけを握って、
ゴリアトに向かっていきました。
そしてこう宣言しました。
「お前は剣や槍や投げ槍で
わたしに向かって来るが、
わたしはお前が挑戦した
イスラエルの戦列の神、
万軍の主の名によって
お前に立ち向かう。
今日、主はお前をわたしの手に
引き渡される。・・・
主は救いを賜るのに
剣や槍を必要とはされないことを、
ここに集まったすべての者は知るだろう。
この戦いは主のものだ」。
これがダビデの戦い方でした。
自分自身を鎧兜で覆い、
大きな剣を帯びて立ち向かう、
そうではない。
丸裸のまま、
しかし、主の名によって、
立ち向かう。
そして主に守っていただく。
主に戦っていただく。
巨人ゴリアトを前に
鎧兜を脱ぎ去り、
剣を捨てることは勇気のいることです。
わたしたちの戦いは、
主を信頼して鎧兜を脱ぎ去り、
主を信頼して剣を捨てること。
讃美歌333番を思い出します。
主よ、われをば とらえたまえ
さらばわが霊は 解き放たれん
わがやいばを くだきたまえ
さらばわが仇に 打ち勝つをえん
【小さな祈り】
主よ。
どうしても剣を帯びようとし、
どうしてもそれを振りかざして
戦おうとしてしまいます。
しかし私の戦いは、
剣を振りかざす戦いではなく、
あなたを信頼して
剣を手放す戦いです。
狼になることではなく、
羊でありとおす勇気を
与えてください。
わたしは弱いときにこそ
強いのです、と言った、
使徒パウロの言葉を、
わたしの言葉ともさせてください。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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