【聖句】
私は、私を強くしてくださる方によって、
どんなことでもできるのです。
(新約聖書・フィリピの信徒への手紙4章13節[口語訳])
【黙想】
これは使徒パウロの言葉です。
「私を強くしてくださる方」とは
もちろん、主なる神様、
そして主イエスのことです。
ある人はこんなふうに言いました。
この世で最も謙遜な声明は、
「神なしでは私は
無に等しい者である。」
最も力強い声明は、
「神と共にいるなら
私は何でもできる。」
神様なしでは、
自分は無に等しい者である
ということが心底分かると
だからこそ、
自分がいつも
神様と共にいること、
イエス様に助けていただくことを
切実に求めるように導かれる。
そしてそのときその人は、
神はまことに生きておられるということと、
神のチカラ、
そして神と共にいる
自分自身の立場をはじめて
味わい知ることができるように
導かれていきます。
きっと使徒パウロは
困難と試練の連続の日々の中で
自分自身の無力さと、
神御自身の力強さとを
体験していったのだと思います。
彼はこうも言っています。
わたしたちは耐えられないほど ひどく圧迫されて、 生きる望みさえ 失ってしまいました。 わたしたちとしては 死の宣告を受けた思いでした。 それで、自分を頼りにすることなく、 死者を復活させてくださる神を 頼りにするようになりました。 神は、これほど大きな死の危険から わたしたちを救ってくださったし、 また救ってくださることでしょう。 これからも救ってくださるにちがいないと、 わたしたちは 神に希望をかけています。
(2コリント1:8以下)
信仰者においては、
無力さと力強さとは、
表裏一体なのです。
自分の無力さの中で
神のチカラを知った者は
まっすぐに言えます。
私は、私を強くしてくださる方によって、
どんなことでもできるのです。
【小さな祈り】
主よ。
私は知りたい。
あなたが生ける神であることを。
私は、あなたの強さ、
あなたの力、
御言葉の真実を、
もっと知るべきなのです。
主よ、どうか
わたしのためにお計らいください。
私が強くなるために
私の無力さを認められるように、
私が祈る者とされるように、
私の小ささを知るように。
本当の謙遜は、
本当の勇敢さを生むことを
身をもって味わいたいです。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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