【聖句】
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、
試練と共に、それに耐えられるよう、
逃れる道をも備えていてくださいます。
(新約聖書・コリントの信徒への手紙一10章13節)
【黙想】
この聖句は、パウロが記したコリントの信徒への手紙一の10章に含まれていますが、
この10章のはじめのほうに記されているのはすべて旧約聖書に関するエピソードです。
わたしが神学校時代に旧約聖書を習った小友聡先生が、
この箇所を解く説教の中で次のように指摘しておられます。
「私たちにとって注目すべきことがあります。それは、旧約聖書で『試練』はバーハルというヘブライ語で表現されるということです。このバーハルはもともと「選ぶ」という意味の言葉です。例えば、申命記7章6節以下に、神がイスラエルの民を選んだことが書いてあります。神はすべての民の中からイスラエルを選んだ。それは、主がイスラエルをひたすら愛するがゆえであった。あなたがたはどの民よりも貧弱であったけれども、主はただあなたがたを愛するがゆえにあなたがたを選んだ、そう書かれているのです。この『選び』を意味するバーハルが、実は同時に『試練』をも意味するのです。イザヤ書48章10節を見るとよくわかります。そこにこう書いてある。『見よ、私は火をもってお前を練るが、銀としてではない。私は苦しみの炉でお前を試みる』。私は苦しみの炉でお前を試みる、とイザヤが預言した神の言葉。この『試みる』という言葉は、『選ぶ』という言葉なのです。聖書では、神が『選ぶ』ということは、神が『試練を与える』という意味になります。聖書において、選びと試練は一つにつながるのです。この旧約聖書の言葉によって、『試練』についての謎が解けてきます。神は私たちを選び、私たちを愛するがゆえに、私たちに試練を与えるのです。神の選びが私たちにおいて明らかになるために試練があるのです。選ばれた者こそが試練を受けるのです。・・・」
大変重要なことが言われています。
神様が選んだ者は、神様から試練が与えられる。
けれども、それは神の選びの故だから、
必ず「試練と共に、それに耐えられるように、逃れる道をも」与えられるのです。
二つのことを言います。
まず一つ。
以前ある人がこの聖句の約束を引き合いに出して
「こう書いてあるのに全然助けてくれないじゃないか」と不平を言っていました。
しかしその人を見ていると、
その人の被っている苦しみは明らかに「身から出た錆び」でした。
自分で引き寄せた苦しみを神のせいにして、神を責めてはなりません。
もちろん神はそこからも救出してくださる恵み深い方ですが。
そしてもう一つ。
神の選び故に試練に遭っているなら、
あなたは揺らがずに、
この御言葉を握って、耐え忍びなさい。
あなたはそれに耐えることができます。
神が耐えさせてくれます。
この聖句をしっかり握って、神の啓示を待っていなさい。
【小さな祈り】
父なる神様。
この試練が、
あなたの選びを明らかにするためのものであり、
この試練が、
あなたとの間柄をより親しくし、
より深くあなたを知るためのものであるならば、
私は、使徒ヤコブが言ったとおり、
この試練を喜びます。
主よ、あなたのお望みのことが行われますように。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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