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執筆者の写真元気牧師

11月2日(木)



【聖句】


目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。


(旧約聖書・イザヤ書40章26節)



【黙想】


二日間、横浜に主張でした。


九州にいたころは、年に何度も飛行機に乗っていました。

伊勢に来てからは、「新幹線」に乗る機会が増えました。


毎度のことながら、

あんなスピードで移動しているにもかかわらず

座席前のテーブルの上にホットコーヒーのカップをおいても微動だにしない、

この快適性に驚かされます。


出発前、ある長老が「富士山が見えるといいですね」とおっしゃいました。

「ああそうか」と思いました。そんなこと思ってもいなかったからです。


なので、なんとなく「見えるかな~」と意識していました。

私は乗り物に乗るときはたいてい向かって左側の窓側の席を予約するので

天気が良ければバッチリ見えるはずです。


結論から言うと、見えました!

上の写真が、車窓からの富士山。

スマホでいそいで撮ったので、縦長ですみません。


きれいでしたよ~。



「富士山、見えるかな。」で思い出したことがあります。


中学三年の頃、群馬県にいた私は、修学旅行で京都奈良へ行きました。

東京駅から新幹線に。14,5歳の若者満載の車両は、騒がしいのなんの。


そのうち、誰かが言いました。

「富士山、見えるかな。」


やがて、富士山が見えるであろうポイントに差し掛かると、

生徒たちは片側の車窓にへばりつきます。


自分が一番最初に見つけたいのです。


ただあいにくその日は曇り、

もくもくの雲が景色を遮っていました。


見えないかな~とあきらめムードになったとき、

誰かが、「見えた!!」と。


驚いて皆もやっきいになって探すのですが、

なかなか見つけられない。

でも、何人かが「あ!」「あれだ!」と言い始める。


でも、まるで、ナゾナゾの問題を解けた人と解けない人が分かれるみたいに、

見えない人はぜんぜん見えないのです。


わたしも、見えない人、でした。


そのうち、見かねた友人が言いました。

「もっと上!上!」


わけもわからないまま、

言われるままに、目をだいぶ上の上に移すと、

「あ!」


雲の上に、

富士山の頭がひょっこりと顔を出していたのです。


とても不思議な感覚でした。




頑張って探していたのです。

血眼で探していたのです。

でも、自分が「この辺だろう」と思っていた場所よりもうんと上に、

富士山がありました。


兄弟姉妹。

わたしたちの信仰、そして私たちの祈りはどうだろうか。


自分が「このくらいだろう、この辺だろう、この程度だろう」という小さな世界で祈っていないだろうか。



主は言われます。

・・・・

目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。

・・・・


目を高く上げよ!!!


そうでなければ、主なる神様の御業は見えてきません。

神様が小さいから見えないのではありません。

神様が大きすぎるから、「この程度」と思いこんでいる私たちには見えないのです。


目を高く上げよ!!


ある人は言いました。

「もっと、神サイズの祈りをささげ、神サイズの希望を抱きなさい!」



あの日の友人の言葉が聞こえてきます。


「もっと上!上!!」








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