【聖句】
わたしが大地を据えたとき
お前はどこにいたのか。
知っていたというなら
理解していることを言ってみよ。
(旧約聖書・ヨブ記38章4節)
【黙想】
ヨブは徹底的に神に向かっていきました。
苦しみ、悩み、痛み、悲しみ。
すべてを神にぶっつけて、
すべてを神に注ぎだしました。
友人たちが来てたしなめても、
慰めても、諭しても、
彼は聞く耳を持たなかった。
それが良いのか悪いのかは置いておいて、
わたしたちが見落としてはならないのは、
彼があくまで神に向かっていこうとしたことです。
詩編38編16節を思い出します。
主よ、わたしはなお、
あなたを待ち望みます。
わたしの主よ、わたしの神よ
御自身でわたしに答えてください。
神様以外の何ものでも満足できない。
神様に出てきていただきたい。
この一途さ。
この「わからずや」具合。
神様は、物分かりの良い優等生よりも、
神以外の答えでは決して満足できない、
引き下がらない、わからずやを求めておられるのです。
たぶん、私たちは、神の基準でいえば
物分かりが良すぎるのです。
一度や二度、祈って、願って、
それで立ち去ってしまう。
わたしたちはもっと、
わからず屋であっていいのです。
神の前に真っすぐに。
神様からの答えだけを求めて
ありのままを注ぎだしていく。
このわからず屋の祈りこそ、
一番素直な祈りです。
ヨブの友人たちは、
「全能者なる神を見出すことは、人にはできない」の一点張り。
しかしヨブは言うのです。
わたしが話しかけたいのは全能者なのだ。
わたしは神に向かって申し立てたい。
13:13
このわからず屋の大胆さこそ!
※ 11/20㈪と,21日㈫は、公開をお休みさせていただきます。
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