【聖句】
わたしが顧みるのは、
苦しむ人、
霊の砕かれた人。
わたしの言葉におののく人。
(旧約聖書・イザヤ書66章2節)
【黙想】
子どもの頃に何かで目にした
星野富弘さんの一編の詩。
目の前にありありと光景が描かれて、
土の香りや風のにおいすら感じられて、
とても印象深い詩でした。
じゃがいもの花 泥だらけになって
じゃがいもを
掘っていた時 ふと見上げた空が
手で触れそうなほど 近かったことを
憶えている
高い所にあこがれ
山の頂に
立った時 なんにもない空が 果てしなく遠かったことを
憶えている
泥だらけになって、
地面に這いつくばって
じゃがいもを掘る―。
ああ、そうなんだ。
わたしたちが額を床にこすりつけるようにして祈るとき、
それはきっと「泥だらけになってじゃがいもを掘っているとき」なんだ。
そのときふと顔をあげるならば、
きっと手で触れそうなほど天は近い。
主イエスの墓の前で
立ち尽くして泣き続けていたマグダラのマリア。
復活のイエス・キリストは
彼女の背後に、直ぐ近くにおられた。
手を伸ばせば届くほど近くに。
イエスさまに出会いたい、
主に触れたい、
もっと神様のことを深く味わい知りたい。
・・・そのためには、
もっとくだっていくべきなのです。
もっと、下へ下へ。
もっと弱く低いところへ。
使徒パウロの言葉を思い出します。
・・・・
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(2コリント12:9-10)
成功の果てに、
強さの向こうに、
登り切った先に、主がおられる・・・
そうではないのです。
主の力は、わたしの弱さの内に、現わされます。
ある人はこう言いました。
「神様は、私たちの弱さを、好まれるのです。」
あなたには弱さがありますか。
その弱さの中に主イエスを招待しましょう。
お入りください、と。
そしてあなたの弱さを、主の強さの舞台として用いていただいてください。
この奥義を体験したなら、
信仰は大いに飛躍すること間違いなしです。
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