【聖句】
子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。
わたしのものは全部お前のものだ。
(新約聖書・ルカによる福音書15章31節)
【黙想】
この言葉は、
誰が誰に向かって言った言葉であるか分かりますか?
この言葉は、有名な「放蕩息子のたとえ」の中で、
父親が「兄息子」に語った言葉です。
父の財産を湯水のように使い果たし、
ボロボロの恥ずべき姿で帰ってきた弟息子。
しかし父は彼を憐み、
彼をゆるし、彼のために最上のご馳走を準備して喜び祝いました。
そんな父の振る舞いを見て、
長年まじめに働いていた兄息子は怒り、腹を立て、
父に向かってこう言いました。
・・・・
このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。
・・・・
すると父は、彼にこう語りかけました。
・・・・
子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。
わたしのものは全部お前のものだ。
・・・・
兄弟姉妹、
私たちはたぶん、放蕩息子のほうにばかり意識が向いていて、
父が兄息子に語りかけたこの言葉にあまり注意を払っていないかもしれません。
しかし、この言葉はものすごい言葉でしょう?
・・・・
子よ、わたしのものは全部お前のものだ。
・・・・
私たちは、与えられているものの大きさに目を向けず、
持っていないものばかりに目を向けます。
与えらえているものを感謝することよりも、
与えていただいていないものに対する不平ばかりをこぼします。
まるでなにも与えられていない物乞いのように
他者をうらやみ、自らを嘆き、
「神はわたしに子山羊一匹すらくれない」とつぶやきながら生きている。
しかし父はこう言われるのです。
「子よ、わたしのものは全部お前のものだ。」
兄息子は、
怒って家に入ろうとしなかったと言われています。
素直になれなかったのです。
「子よ、わたしのものは全部お前のものだ。」
そう言っていただいたのですから、
「じゃあ、お父さん、僕にも子牛をください」って素直に言えばよかった。
ひねくれず、ふてくされず、
素直にお父さんにねだればよかった。
・・・・
子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。
わたしのものは全部お前のものだ。
・・・・
これ以上の素晴らしい祝福の言葉がほかにあるでしょうか。
この驚くべき言葉を投げ捨てて、
「子山羊一匹すらくれない」と嘆くのは極めて愚かなことではないでしょうか。
そしてこれは、
実は私たち自身の姿なのではないでしょうか。
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