【聖句】
信仰は望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものです。
(新約聖書・ヘブライ人への手紙11章1節[新改訳])
【黙想】
昨日は505回目の宗教改革記念日でした。
1517年10月31日、
聖書に基づいて信仰の神髄に気づかされたルターが、
当時のローマ・カトリック教会のあり方に対する問題提起として、
ドイツ・ヴィッテンベルクの城教会の門に95箇条の提題を打ち付けたことから、
宗教改革がはじまりました。
私は神学校時代、
このマルティンルターの礼拝改革をテーマに選んで学位論文を書きましたが、
その時ルターさんの言葉と親しく触れ合いつつ感じたことは、
この人の信仰の素朴さ、純粋さでした。
神の言葉(聖書)に書いてあることを、
まっすぐに、子どもの様に信じよう、受け入れようとする姿勢に、
すがすがしさを覚えました。
そんなルターが信仰について語った言葉を分かち合いたいと思います。
以下はルターの言葉の引用です。
「感情と信仰はまったく別物である」、と私はしばしば言ってきました。信仰は、何も知らず、理性で理解できなくても気にせず、目をつむって素直に御言葉に従います。ところが、感情は、理性で理解できることや、見聞きできることや、さわれるものに頼ります。
このように、感情と信仰とは正反対のものです。ですから、救いに関しては、感情から抜け出して、素直に神様の御言葉を聞きなさい。それを心に入れ、感情に振り回されずに、たとえあなたが自分の罪を感じている場合にも、その罪はきれいに拭い取られていることを信頼し続けなさい。どう感じているか観察したりせずに、たとえ死や罪や地獄があなたを包囲している場合にも、実はそれらはすでに敗北していることを堅く信じなさい。なぜなら、たとえ罪の感覚がまだ私たちの中に残っていても、それは私たちを信仰へと追いやり、信仰を強める結果になるからです。
こうして私たちは、あらゆる感情や理性的な考え方に反して、御言葉を自分のものとして受け入れ、心と良心をいつもキリストに結びつけるようになるのです。このように信仰は静かに罪や死や地獄を通り抜けて、私たちを導いていきます。そしてようやく、私たちはあがないのみわざを自分の目でみるようになります。そのときはじめて、自分たちが信じてきたこと、すなわち、死やあらゆる不幸はすでに敗北していることを、正しくまた完全に知るようになるのです。
【小さな祈り】
*ルターの祈りの言葉を紹介します。
*祈りの冒頭の言葉として、学ぶところ多い言葉であると思います。
この言葉に続いて、あなたの祈りを捧げてください。
ああ、天の父よ、愛する神よ、
私は価値のないあわれな罪人です。
しかし、あなたは私達すべての者に祈るように命じ、
またそれを聞きとどけることを約束なさいました。
ですから私は従順にみ前に出て
あなたの恵み深いお約束に身を委ねます。
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アーメン
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