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執筆者の写真元気牧師

10月9日(月)



【聖句】


主よ、あなたがいやしてくださるなら

わたしはいやされます。

あなたが救ってくださるなら

わたしは救われます。

あなたをこそ、わたしはたたえます。


(旧約聖書・エレミヤ書14章17節)



【黙想】


みんなで「祈り」の学びをしたい。

そう願って心の中でいろいろと思いめぐらしています。


もちろん、「祈り」がすべてではなく、

大切なことは他にもいろいろあります。


でも「祈り」がかけるなら

すべては空しいとすら言えるのではないかと思うのです。



わたしたちの「祈り」を点検するときに気づかされることは

たくさんあると思いますが、

今日は一つ分かち合いたいのです。


わたしたちの祈りには「あなた」が足りないのではないでしょうか。


どういうこと?

私たちの祈りは、しばしば「演説」になっていないかということです。



よく、講演会などの後で、司会者が

「講師の先生に質問ありませんか」と投げかけることがありますね。


その時、ある人が手を挙げる。

そして、口を開くのですけれど

その人が長々と話しているその内容は、

講師への質問なのか、講師やその場の人たちに対して自説を語っているのか、

よくわからないことがあります。


講師に向かってしゃべっているけれど、

それはもはや「演説」なのです。


「あなたへ」という方向性が希薄である、

またはほとんど消失してしまっている。


・・・このことは、

私たちの「祈り」においても起こることではないでしょうか。



自分の考えや、

自分の不憫さ、苦しみ、つらさの中に埋もれている。

その苦しみを言葉にする。

自分の思いや考えを言語化して出す。


それはすごく大切なことです。


しかし、祈りは演説ではありません。


顔をあげてください。

神様をあまり待たせないでください。


もちろん神様は、

いじわるな講師のように「・・・で、結局あなたは何が言いたいんですか?」

なんておっしゃることはないでしょう。


でも私たちは、

神様を待たせすぎているかもしれません。

待たせた挙句、神様への言葉が何もないままで終わってしまう。


そんなことはないでしょうか。



今日の聖句、

預言者エレミヤの祈り。


・・・・

主よ、あなたがいやしてくださるなら

わたしはいやされます。あなたが救ってくださるなら

わたしは救われます。あなたをこそ、わたしはたたえます。

・・・・


あなた!あなた!と呼びかける祈り。

演説色なんて、ないでしょう?



私たちの祈りのうちに

「あなた!」が回復されますように・・・。










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