【聖句】
(キリストは)ののしられても、ののしりかえさず、
苦しめられても、おびやかすことをせず、
正しいさばきをするかたに、
いっさいをゆだねておられた。
(ペトロの手紙一2章3節)口語訳
【黙想】
自己弁護をする。
張り合う。
言い争う。
このようなことをするとき、
私たちの心は闘牛のように鼻息荒く
攻撃的になっていると思います。
しかしこのようなことをしているとき、
私たちの心の一番深いところは、
泣いているのです。
おびえているのです。
恐れているのです。
人が攻撃的になるとき、
それは自分が自分が軽んじられたり、
自分が攻撃されたりして、
心の奥底が怖いよう、と泣いているときです。
もし私たちが、
どんなことがあっても
わたしには神様がついていてくださり、
神様の愛はどんなことがあっても
決して揺れ動かないと知っていたら、
私たちはカッと攻撃的になって
相手に言い返す、言い負かそうとすることは
なくなるはずなのです。
柔和な人、というのは、
鍛錬の結果我慢強くなった人ではなく、
誰よりも神様を近くに感じている人です。
たとえは悪いかもしれませんが、
もしあなたが強盗に財布の中の1万円を奪われても、
家の金庫の中に100億円あれば
痛くもかゆくもないでしょう?
神を与えられている、
神に愛されている、
神が味方でいてくださる、
というのは100億円どころではありませんね。
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