【聖句】
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
(旧約聖書・伝道者の書3章11節[口語訳聖書])
【黙想】
牧師の転任。
言葉で言うのは簡単だけれど、
家族もろとも、
積み重ねてきたすべての生活の営みもろとも、
根こそぎ、まるごと、別の場所に移し替えられるというのは
とてもショッキングな出来事です。
伊勢の山田教会に転任することが決まった時
そのことをついに当時の教会の長老たちに伝えねばならなかった日の礼拝説教のタイトルが、「神の時」というものでした。
別段、何か意識してつけた題ではなく、
そのときの聖書箇所から自然に導き出された言葉だったのです。
いつものように教会堂の掲示板には、
「神の時」と墨書された説教題が掲示されました。
そして私は一週間の間、
日に何度も、その掲示板の前を通りかかるたびに、
その言葉を目にしました。
「神の時」。
「神の時」。
「神の時」。
この言葉に触れるたびに、
わたしの心に不思議な平安が与えられていきました。
何度も寄せる波が砂上の文字をやさしく消し去っていくように、
この言葉は、
わたしの心の内にあった恐れや不安をやさしく消し去ってくれました。
そう。
神の時なのだ。
これが、神の時なのだ。
神様に従って生きる。
神様に委ねて生きる。
それは、時もささげること。
神さまの時で生きること。
そしてその「神の時」は、決して間違いがない。
神の時が、最善の時なのだ。
「神の時」。
この言葉の前に、自分の思いを一つ一つおろして、
ゆだねて、あけわたして。
それは諦めではありません。
投げやりになることでもありません。
神の時に生きる。
どんなことがあっても、
どんな目にあっても、
自分の思いどおりにものごとが進まなくても、
決して失望しないでいることです。
神の最善のご計画をなおも信じて、
その人は、前を向くのです。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
ある人は言いました。
人生は複雑であり、混乱している。
しかし、忘れてはならなりません。
わたしたちは神の織りなす刺繍の裏側を見ているだけなのです。
表にはたえまなく美しい刺繍が刻まれています。
この表側を、わたしたちはいつか見せていただく時が来ます。
そのとき、耐え忍んでよかったと、きっと思うのであります。
【小さな祈り】
主なる神様。
わたしの時をささげます。
わたしの時をゆだねます。
わたしの時をあけわたします。
わたしの時は、あなたのもの。
私たちは「時」にこだわり、
だからこそ、思う通りにならないと
それだけで死にそうになります。
神の時の美しさ。
たえまなく、たえまなく、
今このときも、あなたの御業が、
わたしのための最善の御業が、
全世界の救いを完成させる救済事業が、
すすんでいるのです。
そう思えない日もあります。
そう感じられない時もあります。
そのときは、そんな日は、
今日の聖句をもう一度、わたしに聞かせてください。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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