【聖句】
行きなさい。
わたしはあなたがたを遣わす。
それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。
財布も袋も履物も持って行くな。
(新約聖書・ルカによる福音書10章3-4節)
【黙想】
はじめて読んだ時、おや?と思いました。
場面はイエスさまがはじめて弟子たちを宣教に遣わすところ。
いつもイエスさまと共に歩んでいた彼らが、
はじめて主イエスのもとを離れて、
はじめて自分たちだけで学んだことを実践するのです。
イエスさまは弟子たちを遣わすにあたり
こうおっしゃいました。
行きなさい。
わたしはあなたがたを遣わす。
それは、狼の群れに
小羊を送り込むようなものだ。
読んで字のごとく、
現場には危険が待ち構えている、
その日々は労苦と試練の続になる、
主イエスはそうおっしゃったのです。
だから、
何か予期せぬことが起こっても対応できるように
周到に準備して、
予備のお金も持って、
あれこれ必要なものをしっかり携えて
出発しなさい、というのが普通でしょう。
しかし主イエスはそうおっしゃらなかった。
むしろその反対に、
そのまま無力な羊のままでいるようにと、
いわば「裸一貫で出かけていきなさい」と言われたのです。
なぜでしょうか。
弟子たちに必要な体験は、
自分たちの持ち物で対応していく経験ではなく、
何も持たない自分たちが、
祈りを聞き、すべてを備えたもう
主なる神様に養われ、守られ、導かれる体験だからです。
みなさん、
わたしたちが神の御業を見ること少なく、
神への信頼を深めることに遅いのは、
私たちが「持ちすぎている」からではないでしょうか。
私たちが実は、
「自分に頼り過ぎている」からではないでしょうか。
あなたは(口では弱い、弱い、と言っているとしても)、
実は強すぎるのです。
強いときは、神様が、わかりません。
どんなにそばにいてくださっても。
もっと弱く、小さく、何も持たないで、
神様に頼り切って生きてよいのです。
そのとき、私達は、
私たちの弱さを通して確かに現わされる
神の力を、恵みを、身をもって知るのです。
身をもって知った、神の力、恵み、そして愛。
これこそが、
わたしたちに必要なただ一つの持ち物なのです。
【小さな祈り】
天の父よ。
弱さを繕い、
欠けを埋め、
空の手をあれやこれやで満たそうと
私たちは懸命になっています。
あなたが私を助けようとしておられるのに、
あなたが私に御腕をのべておられるのに、
それを振り払うかのように、
生きています。
主よ、どうか、
私が弱くされたとき、
不足や、不可能や、無力感を覚える時には、
どうか思い起こさせてください。
あなたが、わたしを助けようと、
引き起こそうとしていてくださることを。
そしてどうか、
わたしが私の力を捨て、
あなたの力に頼り切ることができるよう
わたしを励まして、勇気づけてください。
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*あなたの言葉で祈りを続けましょう。
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アーメン。
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