【聖句】
山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないとあ
なたを憐れむ主は言われる。
(新約聖書・イザヤ書54章10節)
【黙想】
「救い」や「恵み」、いわゆる「ご利益」を得るのは、
自分がどれだけ精進努力したかにかかっているのだ。
このような考え方は、非常に根の深いものだと思います。
このような考え方から抜け出すまでは、
私たちは決して心の平安を得ることはできません。
少し善行に励んだら有頂天になり、
少しサボったら途端に不安になる。
クリスチャンもそんな思いになることがあります。
思うような信仰生活ができているときはいざしらず、
少しでも日々の生活に粗があるようなときは、
ちょっとでも不幸なことがあるとすぐさま
「ああ、神様は私に対していかっているんじゃないか」
「わたし、神様に嫌われてるんじゃないか」と思ってしまう。
そして神様の顔色をうかがい、
神様のご機嫌を取るかのように振舞おうとする。
そんなことがあるかもしれません。
はっきりと申し上げます。
そのようなとらえ方は、一秒でも早く捨てることです。
神様は、あなたを愛しておられます。
この愛はゆるぎないものです。
たとえあなたが、神様に愛され、救われ、
祝福されるに相応しくないような振る舞いをしてしまったときであっても、
あなたは、神のあなたへの愛を疑ってはなりません。
聖書にこうあります。
ヨハネの手紙一4章10節。
わたしたちが神を愛したのではなく、
神がわたしたちを愛して、
わたしたちの罪を償ういけにえとして、
御子をお遣わしになりました。
ここに愛があります。
あなたが神様を愛したから、
あなたが神様に何か善いことを施したから、
見返りに愛していただくことができたのではありません。
神様は、あなたを愛してくださいました。
あなたが神を知らず、
ましてや神に背き、敵対し、罪を犯していた、
そのときからです。
それゆえに、私たちの罪の身がわりとして
ご自身の独り子を私たちに与えてくださったのです。
ここに愛があります。
この事実の中に愛があります。
もう二度と、巻き戻すことも、
ひっくり返すことも、
取り消すこともできないこの事実の中に、
神のあなたへの愛があるのです。
だからあなたは、この愛を疑ってはいけません。
私たちが罪を犯したなら、
その悔い改めは、「もう一度愛されるため」のものではありません。
罪を犯してなお愛されている、
裏切ってもなお、何事もなかったのかのように迫ってくる愛、
その「愛されるよろこびと、愛されることの痛み」のゆえに、
私たちは悔い改め、前を向くのです。
本当の愛は、痛い。
愛される痛みが、痛いほどの喜び。
十字架のイエス・キリストによって。
【小さな祈り】
天の父よ。
あなたの愛を、
陳腐なもの、あまりも人間的なもののように
思ってしまう私です。
わたしはあなたを悲しませることがあります。
わたしはあなたの心を痛ませ、
あなたのお叱りを受けることもあるでしょう。
それでも、あなたのわたしへの愛が揺らぐことはないと、
わたしは信じます。
わたしの義のゆえではなく、
わたしのためにあなたが与えてくださった、
わたしのために命を捨ててくださった、
わたしの救い主、イエス・キリストのゆえにです。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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