
【聖句】
「その男はあなただ。」
(旧約聖書・サムエル記下12章7節)
【黙想】
ダビデの生涯最大の罪。
それは、自分の忠実な部下ウリヤの妻、バト・シェバとの姦淫でしょう。
ある日の夕暮れ、ダビデは午睡から目覚めました。
そもそもこの時点でおかしいのです。
自軍の兵士たちが大勢戦いに出ているのです。
しかしダビデは王宮で夕方まで惰眠を貪っている!
彼は夕方の風を浴びようと屋上にあがりました。
するとそこから、一人の美しい女が水浴びをしているのを見つけるのです。
そこからの展開は、
キリスト者には言わずもがなでしょう。
ダビデは無理やりその女を連れてこさせ、
夫がいるとわかっていながら床を共にする。
彼女が身ごもったと分かると、
今度はウリヤを戦場の最前線に取り残してくるように仕向けた。
つまり、事実上、彼は忠実な部下を殺したのです。
自らの悪事を覆い隠すために。
主はそんなダビデのもとに預言者ナタンを遣わされ、
ナタンはダビデのしでかした最悪の罪を、
貧しい男からその大事な一匹の羊を奪い取った金持ちの強欲な男になぞらえて語りました。
その話を最後まで聞いたダビデはひとこと、こう言ったそうです。
「主は起きておられる。そんな無慈悲な男は死罪だ!!」
兄弟姉妹。
自分のことは、見えないのです。
自分の罪は、見えないのです。
人の罪ばかり。人の粗探しばかり。
自分の罪を、自分の姿を、目の前に示されても、
「そんな男がいるのか!そんな無慈悲なやつは死罪だ」と言うばかり。
私たちは、自分自身の姿が見えないから、
簡単に人を裁くことができてしまう。
もし私たちが、自分自身のありのままの姿を見ることができたなら、
人の罪をあげつらい、
人のことをとやかく言うことなど逆立ちしたってできません。
・・・・
「その男は、あなただ!」
・・・・
預言者ナタンのこの言葉は、
ダビデの全身の骨を粉々にしたことでしょう。
私たちも、自分自身の姿を見つめねばなりません。
十字架の主イエスさまの姿の中に、
罪なき神の御子があれほどの姿にならねばならないほどの自分の罪を
見つめねばなりません。
そして教会の中に、和解が、愛が、赦しが、満ち溢れるように。
どんなに伝道しても、
どんなにあれこれ労苦して人を呼び込もうとしても、
神は、和解も赦しも愛もないところにご自分の大切な子を送ってはくださらないでしょう。
教会には、クリスチャンには、
伝道よりも前にすべきことがあるのです。
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