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執筆者の写真元気牧師

10月21日(金)



【聖句】


愛は寛容であり、愛は親切です。

また人をねたみません。

愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、

自分の利益を求めず、

怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、

すべてを信じ、すべてを期待し、

すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。


(新約聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ13章4-8節[新改訳])



【黙想】


ここには愛の定義があります。何が愛で、何が愛でないかが示されているのです。

鏡のように自分の姿を照らし合わせてみてみましょう。ある人の言葉を引用します。


寛容。

どこまでも大きく受け入れていく大きい器です。


親切。

行動に現された愛です。日常生活にたくさんの機会があります。


ねたまず。

人の喜びを共に喜べる。人と比べないことです。


自慢せず、高慢にならない。

真の愛は謙遜です。


礼儀に反することをせず。

他人に恥ずかしい思いをさせない配慮です。


自分の利益を求めず。

愛は自己中心の反対です。自分のやり方を押し通そうとしないのです。


怒らず。

いらいらしたり、怒りっぽいことは愛ではありません。


人のした悪を思わず。

記録しない。人に恨みを抱かない。

人から悪いことをされても気にしない。


不正を喜ばずに真理を喜ぶ。

ゴシップ好きでない。何を喜んで見、聴いているか?


すべてをがまん。

いらいらして我慢できないのは愛ではありません。

イエス様はどれだけあなたに我慢し、赦してくれたか・・・


すべてを信じ、期待。

失敗をも最終的なものと思わないことです。

その人の善を信じ続けてあげることです。


耐え忍ぶ。

主の私たちに対する愛です。ペテロに対する主の忍耐です。



愛のところに「イエス様」を入れるとピッタリきますね。

この聖句は「イエス様の肖像画」です。

キリストは文字通りこの様なお方です。

わたしたちはこのような愛で愛することができるか?


できない!というのも正解です。

でも、「主にあって、私にも出来る!」というほうがもっと正解なのです。


私はイエスさまじゃないから無理~と言えば、そのとおりです。

でもパウロはここで「愛を追い求めよ」「これが最高の道です」と教えています。

「愛がなければすべては無に等しい」とも。


愛がなければ信仰すら無に等しいのです。



【小さな祈り】


愛の主よ。

愛をください。

私の持ち前の「愛」が、これほどまで頼りなく、

これほどまで罪に汚され、破れ果てているものだとは知りませんでした。

どうか主よ、

あなたの真実の愛に触れさせてください。

そして私が愛することに飢え渇き、

愛されるよりも愛することを望み、

それだけ一層、主イエスの十字架が

身近なものとされますように。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。








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