【聖句】
愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、
すべてを信じ、すべてを期待し、
すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
(新約聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ13章4-8節[新改訳])
【黙想】
ここには愛の定義があります。何が愛で、何が愛でないかが示されているのです。
鏡のように自分の姿を照らし合わせてみてみましょう。ある人の言葉を引用します。
寛容。
どこまでも大きく受け入れていく大きい器です。
親切。
行動に現された愛です。日常生活にたくさんの機会があります。
ねたまず。
人の喜びを共に喜べる。人と比べないことです。
自慢せず、高慢にならない。
真の愛は謙遜です。
礼儀に反することをせず。
他人に恥ずかしい思いをさせない配慮です。
自分の利益を求めず。
愛は自己中心の反対です。自分のやり方を押し通そうとしないのです。
怒らず。
いらいらしたり、怒りっぽいことは愛ではありません。
人のした悪を思わず。
記録しない。人に恨みを抱かない。
人から悪いことをされても気にしない。
不正を喜ばずに真理を喜ぶ。
ゴシップ好きでない。何を喜んで見、聴いているか?
すべてをがまん。
いらいらして我慢できないのは愛ではありません。
イエス様はどれだけあなたに我慢し、赦してくれたか・・・
すべてを信じ、期待。
失敗をも最終的なものと思わないことです。
その人の善を信じ続けてあげることです。
耐え忍ぶ。
主の私たちに対する愛です。ペテロに対する主の忍耐です。
愛のところに「イエス様」を入れるとピッタリきますね。
この聖句は「イエス様の肖像画」です。
キリストは文字通りこの様なお方です。
わたしたちはこのような愛で愛することができるか?
できない!というのも正解です。
でも、「主にあって、私にも出来る!」というほうがもっと正解なのです。
私はイエスさまじゃないから無理~と言えば、そのとおりです。
でもパウロはここで「愛を追い求めよ」「これが最高の道です」と教えています。
「愛がなければすべては無に等しい」とも。
愛がなければ信仰すら無に等しいのです。
【小さな祈り】
愛の主よ。
愛をください。
私の持ち前の「愛」が、これほどまで頼りなく、
これほどまで罪に汚され、破れ果てているものだとは知りませんでした。
どうか主よ、
あなたの真実の愛に触れさせてください。
そして私が愛することに飢え渇き、
愛されるよりも愛することを望み、
それだけ一層、主イエスの十字架が
身近なものとされますように。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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