【聖句】
わが世にあらんかぎりは、
かならず恵みと憐れみと 我にそいきたらん。
(旧約聖書・詩編23編6節[文語訳])
【黙想】
「主はわが牧者なり」ではじまる詩編23編の
最後のほうの言葉です。
私たちの教会が用いている
「新共同訳」の聖書ではこう訳されています。
命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の恵み、憐み、慈しみが、
一生涯の間、わたしの旅路にぴとっとくっ付いてくる。
わたしがどこにいっても追いかけてくる。
しかも、「必ず!」です。
私の周囲には絶えず神の恵みが満ち溢れ、
主の慈しみが私を取り囲んでいる。
感謝すべきことがあちこちにちりばめられている。
無いものを数え、不平を言いながら生きることから、
与えられている恵みを探しつつ、讃美の歌を歌って歩む生活に変えられる。
みなさん、たぶん(いやきっと)、
私たちは多くを求め過ぎなのです。
求め過ぎているから、無いものが気になり、
与えられているものが見えなくなっているのです。
私たちはしばしば、
「主よ、もっと恵みをください」
「〇〇をください」「□□がもっとほしい」と祈り願うでしょう。
しかし私たちが真っ先に祈るべきことは、
もっていないものを与えてくださるように祈ることではありません。
あなたが私に今、豊かに与えてくださっている
恵みが見えるように、気づけるように、助けてください。
これこそ私たちが祈るべきこと、
しばしば見落としていることです。
私たちの祈りが変えられ、
目が開かれ、私たちに与えられているものがいかに大きく、おびただしく、
かたじけないものであるか気づいた時、
私たちもまた、ダビデと声を合わせて告白することになるはずです。
命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う、と。
【小さな祈り】
天の父なる神様。
私の目を開いてください。
あなたの恵みが見えるように。
恵みなどない、慈しみなどあり得ないという前に。
与えられているものより、
持っていないものに心が奪われてしまう前に。
主よ、わたしのどこを切っても、
あなたのへの感謝がほとばしるくらい、
寝言でもあなたへの讃美を歌うくらい、
いつもあなたの恵みを数える者になりたいです。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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