
【聖句】
愛がなければ、無に等しい。
(新約聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ13章2節)
【黙想】
最近、「そこに愛はあるんか?」というテレビCМの言葉を、妙に耳が拾うのです。
コリントの町にあった教会。
そこには聖霊の力が鮮やかに現されていました。
しかし教会の兄弟姉妹は、
本来は隣人のため、教会全体の益のために用いられるべき聖霊の賜物を、
自分の益のため、自分の評価のために誤って用いてしまう傾向がありました。
そんな彼らに対して使徒パウロは、まさに、
「そこに愛はあるんか?」とぶつかっていくのです。
たとえどんなに優れた力を持っていても、
どんなに立派な行いをしていても、
山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、
人のために命を懸けるような偉業を成し遂げたとしても、
そこに愛がなければ無に等しいのだ、と。
そして、パウロはストレートに、
「愛を追い求めなさい」と命じるのです。
兄弟姉妹、
「愛を追い求めなさい」ということは、
愛は、熱心に追い求め、願い求めないといけないものだということです。
言い換えれば、愛は、私たちの内に生来備わっているもの、
ほうっておいても溢れてくるものではないということです。
愛は、あなたの内側から湧いてくるものではない。
それは、神様から与えていただくもの。
厳しい言葉かもしれません。
子どもの喜ぶ顔が見たくて愛情込めてお弁当を作る。
帰ってきた子どもが「美味しくなかった」「食べたくない」と言う。
悲しいのは、そのとおり。
残念なのも、そのとおり。
しかしもしそこで「怒り」や「憎しみ」が生まれてくるとしたら。
そこに愛はなかったのです。
そこにあったのは「自己愛」だったのです。
自分が喜びたかっただけなのです。
厳しい言葉かもしれません。
あなたを傷つけたかもしれません。
反論もあるかもしれません。
でも、やっぱり、正直、身に覚えがある。
私たちの内側にある「愛」は、
聖書のいう愛とは似て非なるものなのです。
だから・・・
神に祈り、愛を追い求めたいと思います。
素直に、愛のないことを、認めて。
【祈り】
主なる神様。
私のうちに「愛」がないことを、
認めざるを得ません。
主よ、
あなたが私を愛してくださるその愛が
わたしの内にもっとリアルになり、
その愛がわたしを、
愛することへと駆り立てますように。
愛したいと願い、
愛することに憧れ、
愛することを喜びとしますように。
私が、愛されることよりも愛することを求めるように、
あなたの永遠の愛で私をとらえてください。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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