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10月19日(水)

  • 執筆者の写真: 元気牧師
    元気牧師
  • 2022年10月19日
  • 読了時間: 2分


【聖句】


愛がなければ、無に等しい。


(新約聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ13章2節)



【黙想】


最近、「そこに愛はあるんか?」というテレビCМの言葉を、妙に耳が拾うのです。


コリントの町にあった教会。

そこには聖霊の力が鮮やかに現されていました。


しかし教会の兄弟姉妹は、

本来は隣人のため、教会全体の益のために用いられるべき聖霊の賜物を、

自分の益のため、自分の評価のために誤って用いてしまう傾向がありました。


そんな彼らに対して使徒パウロは、まさに、

「そこに愛はあるんか?」とぶつかっていくのです。


たとえどんなに優れた力を持っていても、

どんなに立派な行いをしていても、

山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、

人のために命を懸けるような偉業を成し遂げたとしても、

そこに愛がなければ無に等しいのだ、と。


そして、パウロはストレートに、

「愛を追い求めなさい」と命じるのです。



兄弟姉妹、

「愛を追い求めなさい」ということは、

愛は、熱心に追い求め、願い求めないといけないものだということです。

言い換えれば、愛は、私たちの内に生来備わっているもの、

ほうっておいても溢れてくるものではないということです。


愛は、あなたの内側から湧いてくるものではない。

それは、神様から与えていただくもの。


厳しい言葉かもしれません。

子どもの喜ぶ顔が見たくて愛情込めてお弁当を作る。

帰ってきた子どもが「美味しくなかった」「食べたくない」と言う。


悲しいのは、そのとおり。

残念なのも、そのとおり。


しかしもしそこで「怒り」や「憎しみ」が生まれてくるとしたら。


そこに愛はなかったのです。

そこにあったのは「自己愛」だったのです。

自分が喜びたかっただけなのです。


厳しい言葉かもしれません。

あなたを傷つけたかもしれません。

反論もあるかもしれません。


でも、やっぱり、正直、身に覚えがある。


私たちの内側にある「愛」は、

聖書のいう愛とは似て非なるものなのです。


だから・・・

神に祈り、愛を追い求めたいと思います。

素直に、愛のないことを、認めて。



【祈り】


主なる神様。

私のうちに「愛」がないことを、

認めざるを得ません。

主よ、

あなたが私を愛してくださるその愛が

わたしの内にもっとリアルになり、

その愛がわたしを、

愛することへと駆り立てますように。

愛したいと願い、

愛することに憧れ、

愛することを喜びとしますように。

私が、愛されることよりも愛することを求めるように、

あなたの永遠の愛で私をとらえてください。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。



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