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執筆者の写真元気牧師

10月13日(木)




【聖句】


あなたに言っておく。

七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。


(新約聖書・マタイ福音書18章22節)



【黙想】


赦し。それは人間にとって永遠のテーマだと思います。

今日は、ある書物の言葉に耳を傾けてみたいと思います。

以下は引用です。


 皆さんは、親切で良い人なのに心に憎しみを持っているクリスチャンをご存じありませんか。心にある憎しみは、本来、神が約束されているすばらしい霊的な祝福を妨害するのです。
 私は以前、ある国に行ったとき、重いうつ病にかかっている一人の姉妹に会いました。彼女はその町の教会の牧師夫人でした。しかし彼女の病のために、ご主人は牧会から離れることになっていました。・・・私は幸いにして彼女と話し合うことができました。聖霊は私に、「彼女には小さいときの傷がある」とおっしゃいました。私は彼女に質問しました。「あなたは小さい頃、何かいやな経験がありましたか。」彼女は小さいときに暴行を受けたことがあったのです。そのとき受けた心の傷がずっと彼女の中に残っていました。彼女は出来る限り神を愛そうとしました。しかし、その痛ましい事件の犯人を赦すことができなかったのです。私は言いました。「姉妹、大変だと思いますが、あなたはその人を赦さなければいけません」「どうやって赦せばいいのですか。あの人は私の人生を破壊したのですよ」「確かに感情的に難しいでしょう。でも、あなたが意志をもって御言葉に従うのですなぜなら普通、人間にはそのような人を赦すことはできないのです。しかし、神様は私たちに命令されています。お互いに愛し、赦し合いなさいと。私たちは人間的には祝福したいのですが、感情的には憎しみを持っています。心の中にある様々な肉的な感情が、その人を赦すことを拒んでいるのです。
 私は彼女の手を取って言いました。「わたしの祈りを繰り返してください。『イエスさま、あの人を私は赦します。なぜならば、、あなたの御言葉に従いたいからです。あなたは私の心の傷の深さをご存じです。しかし、私はあなたの御名に対する愛のゆえ、御名に対する従順のゆえにその人を赦します。そしてあなたの御名によってあの人を祝福します。そしてもしあの人があなたの前に罪を告白するなら、ゆるしてあげてください』」。
 彼女は泣きながら祈りました。そしてその瞬間から完全に解放されたのです。繰り返しますが、赦すということは感情から来るものではなくて、信仰の告白によるのです。

赦し。それは感情から来るものではない。

感情が拒むことを、信仰を働かせて、神の御言葉に従順になって、

選び取ること。そしてそう告白し、祈ること。


その祈りは、「あなたを」救うのです。



【小さな祈り】


今日は、上の文章の中にある祈りの言葉をもとに

赦しの祈りを捧げましょう。




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