【聖句】
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、
悲しいものと思われるのですが、
後になるとそれで鍛え上げられた人々に、
義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
(新約聖書・ヘブライ人への手紙12章11節)
【黙想】
この聖句をただの処世訓として受けとめるならば、
良い言葉だなー、ためになる格言だなー、でおしまいです。
しかし、聖書の御言葉はすべて、
話者が聖霊によって導かれて記した言葉であり、
神ご自身の息のかかった言葉なのです。
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、
悲しいものと思われるのですが、
後になるとそれで鍛え上げられた人々に、
義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
これは一般論とか精神論の話ではありません。
神の約束なのです。
この言葉は、あなたの頑張り次第でこうなることもならないこともある、
という類いの言葉ではありません。
神がそうしてくださる、
そのようにお取り扱いくださることを約束してくださっているのだよ、
という慰めと励ましの言葉です。
私たちはこの約束から何も引いてはならないし、
何も足さなくてよい。
ただ単純に、真っ直ぐに信じて、
何度も唱えては魂に刻み込み、
父なる神の誠実さ、真実さに、あとのことを委ねてしまってよいのです。
【小さな祈り】
真実であられる天の父よ。
あなたはわたしを鍛えてくださいます。
あなたはわたしを、
あなたの子としてお取り扱いくださいます。
父よ、
あなたの鍛錬はしばしば厳しく、辛く、
喜ばしいものとはまるで思えないものです。
けれどもあなたには、
わたしなどにははかり知ることのできない最善のご目的があって、
永遠の熟慮によってすべてのことを与えてくださる方です。
あなたに信頼して、ゆだねます。
憐み深い主よ、
試練と共に、試練を耐え忍ぶことができるよう、
あなたの顧みが必要です。
慈しみ深い主よ、どうかお願い致します。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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