【聖句】
「恐れないで、ただ信じていなさい。」
(新約聖書・マルコ福音書5章36節[新改訳])
【黙想】
マルコによる福音書5章21節以下を見てみると、
この主イエスの御言葉がとても切迫した状態で語られたものであることが分かる。
ある日、主イエスのもとに会堂長ヤイロがやってくる。
そして自分の12歳の娘が病気で死にかけていることを必死に説明し、
助けてほしいと嘆願する。
12歳の娘。まもなく嫁入りするような年頃の、愛すべき乙女である。
そして主イエスは出かけて行く。
しかしその道中で群衆に阻まれてなかなか先に進めない。
一分一秒を争う事態であったのに!
ヤイロにとっては一分が三日のように感じられたであろう。
そうこうているうちに、
向こうのほうから暗い顔をした数人がこちらにやってくるではないか。
彼らはヤイロにこう言った。
「あなたのお嬢さんはなくなりました。
なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」
もう終わりだ。もうおしまいだ。
ここですべてがストップだ。
なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。そのとおりだ・・・。
しかし、主イエスは、主イエスだけは、
まるで何事もなかったかのように、
娘の死の床へとなおも進んでいこうとされる。
ヤイロは言葉を失っている。
娘の死の報に触れ、崩れ落ちそうになっている。
しかし主イエスはこう言われる。
「恐れずに、ただ信じていなさい。」
家の者は茫然自失で、近所の人々は取り乱し、
大声で泣きわめいている。
しかし主イエスはこう言われる。
「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」
二つの現実がある。
人間が見ている現実と、主イエスが見ておられる現実である。
「なぜ泣いているのか」
「娘は眠っているのだ」
「恐れずに、ただ信じていなさい。」
分かる分からないではない。
理解できるできない、ではない。
私は主イエスの見ておられる現実、
主イエスの生きておられる神の国に生きたいと心から願う。
我が子を、それもまだ年若い子どもを失うことはどんなにか辛いことだろう。
「タリタ・クム、少女よ、起きなさい!」
愛する我が子の耳が、この主イエスの御声を聞くように―ただそれだけが希望である。
死で終わらない希望である。
分かる分からない、納得がいくいかないをこえて、ここにすべてを委ねる。
【小さな祈り】
主イエスよ。
あなたはなおも先へ進んで行かれます。
もう先へ進めない、
もうこれでおしまいだ、
いったいどこに希望があるだろう、
しかし主イエスよ、
あなたはすべての言葉のつぶてを受けとめてなお、
先へ進まれるのです。
主よ。
わたしがあなたの見ておられる現実を選び取るように
助けてください。
そしてここで止まらず、
恐れずに、あなたを信じて、
先に進むことができるよう励ましてください。
・
・
*あなたの言葉で祈りましょう。
・
・
アーメン。
Comments