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  • 執筆者の写真元気牧師

10月1日(月)



【聖句】


主よ、あなたはわたしの砦の塔、

苦難の日の逃れ場


(旧約聖書・詩編59章17節)



【黙想】


「困ったときの神頼みは、良くない―。」

ときどき、クリスチャンの間にはこんな風潮!?があるように感じます。


言いたいことはわからなくもないですが、

でも、わたしは「何が悪いのだろう」と思ったりします。


確かにこの言葉は、

普段はさして信じてもない神に対して、

困ったときだけすがって助けを求めるといった

都合のいい態度が見え隠れしています。


私は思います。

しばしばキリスト者は、この逆なのではないか、と。


私たちはキリスト者として、

週ごとに礼拝をささげたり、

日ごとに祈りをささげたり、

普段から神様を信じて生きているつもりでいます。


しかしひとたび事が起こると、

なぜか神様のことをきれいさっぱり

シュパッと忘れて右往左往するのです。


普段から祈っていたはずなのに、

困ったときの神頼みができない。


普段は礼拝に通っていたはずなのに、

事が起こると、落ち着くまでと言って礼拝に行かなくなる。


ちょっと待ってください。


普段から祈っている人は、

事が起こったときにすぐさま祈りの座にかけていくはずです。


普段から礼拝をささげている人は、

苦しいときこそ這って礼拝に行くはずです。


きれいごとに聞こえるかもしれませんが、

その逆です。


苦しみの中で祈りの座に向かい、

つらいときこそ礼拝に向かっていく。


一番泥臭いことです。


本当の意味で、困ったときに真っ先に神頼みすることえ選び取れるように、

もっともっと、神様との信頼関係を育てていただきましょう。



イエスさまは、

あの十字架にかけられる前の晩も、

いつものようにオリーブ山に出かけていき、

いつものようにゲツセマネの園で祈られました。








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