【聖句】
悪口を言う者に祝福を祈り、
あなたがたを
侮辱する者のために
祈りなさい。
(新約聖書・ルカによる福音書6章28節)
【黙想】
これは相手のために、
ではありません。
あなた自身のためです。
「赦す」ことの大切さは、
いろいろな角度から、
いろいろな意味で、
指摘できるでしょう。
今日は一つだけ、
申し上げたいと思います。
以下の使徒パウロの言葉を
注意深く読んでください。
詳しくは述べませんが、
文脈は、
コリントの教会で
何らかのトラブルがあり
それはある特定の人が
起こした問題に
起因していたようなのです。
パウロはそのことを知っており
どうやら彼自身も深く
その人に深く傷つけられた
ように見受けられます。
そのうえでパウロは、
教会の人々に
こう語りかけました。
あなたがたが何かのことで
赦す相手は、
わたしも赦します。
わたしが何かのことで
人を赦したとすれば、
それは、キリストの前で
あなたがたのために
赦したのです。
わたしたちがそうするのは、
サタンにつけ込まれないためです。
サタンのやり口は
心得ているからです。
(2コリント2:10)
経験からも言えることですが
赦せない人がいる、
赦さない心があると、
いわばその心を
「足場」にして、
悪魔が付け込んでくるのです。
悪魔は、
まるで腐敗臭をかぎつけて
どこからともなく飛んでくる
ハエのように、
私たちの赦さない心の
臭いを嗅ぎつけてやってくる。
そしてその心を
エサにして肥え太り、
その心を足場にし、
資材にし、
エネルギー源にして
私たちの中に要塞を
築き上げるのです。
心の中に
悪魔の基地、要塞を
築かれてしまった人は、
その言葉や行動で
知らず知らずのうちに
周囲の人を傷つけます。
しかし周囲の人以上に、
その人自身が
誰よりも苦しみ、
力を吸い取られます。
パウロはこれらのことを
よくわかっている。
だから、
サタンに付け込まれないために
赦すのだと言います。
赦す。
もちろん
たやすいことではありません。
主イエスの十字架と、
聖霊の力によってはじめて
可能になることです。
このことについては
別のときに分かち合いましょう。
今日は一つのことを
あなたに申し上げます。
あなたには
赦していない人はいませんか。
実は、
赦していない人がいることは、
自分でも気づいていない場合が
少なくありません。
あの人!とすぐ思い浮かぶ人以外にも、
実は、いるかもしれない。
場合によっては
自分が大切だと思っている人
かもしれないのです。
主に示していただかなくては
気づくことすらできないかもしれないのです。
ですから、今日は
こう祈りましょう。
【小さな祈り】
天の父なる神様。
今、私はあなたの御前に
謙遜に頭をたれます。
どうぞ私の心を
お探りください。
わたしの内にあなたが
お喜びにならないものが
ありましたら
お示しください。
あなたの祝福を通す
管に詰まりがないか、
恵みを受けとる
パイプに汚れが
こびりついていないか
どうか教えてください。
赦せない心、
赦していない人がいないか
どうか示してください。
・
・
*あなたの言葉で
ぜひ祈り続けてください。
・
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アーメン。
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