【聖句】
しかし、あなたが神にお願いになることは
何でも神はかなえてくださると、
わたしは今でも承知しています。
(新約聖書・ヨハネによる福音書11章22節)
【黙想】
マルタとマリアの二人の姉妹にとって、
最愛の兄弟であったラザロの死は計り知れない悲しみであったと思います。
イエスさまの到着前に死んでしまったラザロ。
あれから4日経ち、現実が現実として一層シビアに迫ってくる。
そのようなときに主イエスが到着されたのです。
彼女たちは口々に言いました。
・・・・
主よ、もしここにいてくださいましたら、
わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
・・・・
彼女たちの素朴な信仰が滲み出た言葉です。
ただ、死の現実の前ですべてが過去の仮定となっているのもまた事実です。
彼女たちの望みはついえているのです。
しかし、姉のマルタはさらにこう続けました。
・・・・
しかし、あなたが神にお願いになることは
何でも神はかなえてくださると、
わたしは今でも承知しています。
・・・・
彼女は、場合によっては、イエスさまを責めてもよかったのかもしれません。
どうして到着が遅れたのですか。
あなたがいてくださらなかったから
ラザロは死んだのです。
あなたも彼を愛していたはずなのに、
どうしてすぐに来てくださらなかったのですか、と。
しかし彼女のイエスさまへの信頼は変わりませんでした。
希望はついえていた。
でも、イエスさまを信頼していた。
「わたしは今でも、知っています」という彼女の言葉。
もはやどうすることもできないことが起きました。
あなたがここにいてくだされば助かったでしょう。
それでもなお、
わたしは今でも、承知しています。
あなたが神に願うなら、
神はかなえてくださる、ということを。
絶望の中で、一つのことをなお握っている。
イエスさまへの信頼を握り、
イエスさまを愛していること、信じていることをやめないでいる。
そこに、道ができていく。
兄弟姉妹、
信仰は「好き・嫌い」ではありません。
自分に都合の悪いことが起こったり、
思った通りにならなかったらすぐに離れていく、
乗り換えていく。
それは信仰ではありません。
兄弟を亡くしたマルタが、
「わたしは今でも」といってイエスさまから離れないでいる。
なもイエスさまから離れないでいる人にだけ
見せていただける恵みの世界があります。
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