【聖句】
わたしたちは、このような宝を
土の器に納めています。
この並外れて偉大な力が神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
(新約聖書・コリントの信徒への手紙二4章7節)
【黙想】
11月に山田教会で説教奉仕をしてくださった、
教団隠退教師の堀江明夫先生。
もともとコンピュータ関係にお詳しくて、
パソコンやスマホ操作などお手の物。
11月のあの日も、先生はいろいろご自分でネット検索され、
伊勢の町であれこれと充実した時間をお過ごしになったようです。
その時の記事が、先生のブログに乗っていました。
↓
堀江先生のブログ記事の文章は、
どれもこざっぱりとしていて、
それでいてまるで軽薄さがない、不思議な魅力があります。
興味深く示唆に富む文章ばかりなのですが、
今回は堀江先生の以下の記事を読んでみてください。
さわやかな読後感を味わってください。
2024年が始まって、はやくもひと月が経とうとしています。
地の基が揺れ動いた元日から、どこか心定まらぬ日々が続いているかもしれませんが、
私たちは今一度心を主に向けたいと思います。
この年がどのような年になるのかは知る由もありません。
でも、「このような生き方をしよう」と思い定め
一歩でも二歩でも前進していくことは誰にでも必ずできるのです。
たしかに弱さがあります。欠けがあります。痛みがあります。
パウロも自分自身のことを「土の器」と呼びました。
もろさを覚えていたのです。
しかし、この土の器には神の宝が盛られている!
飼い葉おけに、神の御子が眠っているように、
この土の器に、神からの宝が盛られているのです。
だから、良いのです。
これぞ、信仰の醍醐味なのです!
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