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  • 執筆者の写真元気牧師

1月26日(金)



【聖句】


どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、

求めているものを神に打ち明けなさい。

そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、

あなたがたの心と考えとを

キリスト・イエスによって守るでしょう。


(新約聖書・フィリピの信徒への手紙4:6-7)



【黙想】


何度でもこの聖句を心に刻みたく思います。


今回は、この聖句から二つのことを受け取りましょう。



①「どんなことでも」とあります。


私たちはどんなこと思い煩っているでしょうか。

あのこと、このこと、気づいていないこと。

もやもやとした、言葉にできないような漠然とした思い。


しかし、ありがたいことに、

聖書は私たちは、「どんなことでも思い煩わず、神に打ち明けなさい」と命じていてくださいます。


本当にありがたいことですね。


ためらわず、打ち明けましょう。どんなことでも。



②「感謝を込めて祈りと願いをささげ、

求めているものを神に打ち明けなさい」と言われています。


そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、

あなたがたの心と考えとを

キリスト・イエスによって守るでしょうと約束されているのです。



求めているものを、神さまに「打ち明ける」。


単純なことですが、

それだけに、あなどっている人も多いかもしれません。


私たちの祈りは、

本当に「打ち明ける」祈りになっているでしょうか。


「打ち明ける」という言葉を辞書で調べてみると、

信頼関係を構築するため、

あるいは信頼関係を前提とした、

他の人にはおいそれとは話せないような本音、隠していること、

秘密などを率直に共有する行為であると言われています。



しばしば私たちの祈りは、

誰に聞かれてもいいような世間話のようになっていないでしょうか。



また私たちは祈るとき、

頭の中だけで祈っていないでしょうか。


念じるというか、頭の中だけで考えるというか・・・。


大事なことは、

打ち明けること。

言葉にすることです。


一番いいのは、声に出すこと。


もし声に出せなくても、

口を動かし、心の中でその声を聞くこと。


漠然とした脳内だけでの「祈り」ではなく、

ちゃんと「打ち明ける」「語り出す」祈りをしましょう。



聖書にはしばしば、

命令の後に「そうすれば○○○」という言葉が続くことがあります。


そうすれば、という神の約束がセットになっている命令、

約束付きの命令は、ゼッタイそのとおりにすべきです。



それがどんなことであれ、

心の中に思い煩いが浮かんで来たら、

すぐに神様に打ち明けよう。


ある意味で、これは「慣れ」の部分もあったりします。

まずは、やってみることですよ。





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