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執筆者の写真元気牧師

1月21日(土)




【聖句】


神がハガルの目を開かれたので、

彼女は水のある井戸を見つけた。


(旧約聖書・創世記21章19節)



【黙想】


アブラハムの妻サラの女奴隷ハガル。

エジプトから連れてこられた

彼女の人生は、

数奇なものであったように思います。


肥沃なエジプトから、

荒れ野での天幕生活。

さぞ大変だったことでしょう。


そんな彼女にとって、

不妊の女主人サラに代わって

アブラハムの子を産んだことは

ただ一つの誇り、

よりどころであっただろうと思います。


しかし女主人サラにイサクが生まれると、

サラはハガルとその息子イシュマエルを

追い出すようにアブラハムに迫ります。


そうやって荒れ野に追いやられた

ハガルと少年イシュマエル。


母ハガルは絶望の淵に

追いやれたことでしょう。

荒野をさまよい、

ついには革袋の水が尽きてしまう。


荒れ野で水が尽きる、

それは即、死を意味しました。


ハガルは力なく横たわる息子を

木の下に寝かせ、

大声で泣きました。

そんな母を見て息子も泣きました。


そんなハガルに、

「どうしたのか。

 恐れることはない」と主が語りかけてくださった。


そしてこう続くのです。


 神がハガルの目を開かれたので、

 彼女は水のある井戸を見つけた。



おそらく、

井戸はすぐそばにあったのです。

あと一歩前に進めば、

井戸にたどり着くことができたのです。


けれども目の前の現実に

目も心も奪われて、

主が与えてくださっている助けに

気づくことができなかったのです。



二つのことを分かち合いましょう。


一つ目。

実は私たちも

ハガルと同じなのかもしれません。


主は助けをすでに

備えてくださっている。


けれども私たちの目が

閉ざされていて

見えていないだけなのかもしれません。


だとすれば、

ある時には私たちは、

「主よ、助けてください!」ではなく、

「主よ、あなたが与えてくださっている

 助けが見えるように、

 わたしの目を開いてください!」

と祈るべきなのかもしれません。



二つ目。

ハガルはこの状況に至るまで、

母たる自分の力でなんとか

しようと踏ん張っていたのだと思います。


しかしどうしようもなくなって、

母は子どものように泣きました。


するとそこで、

主なる神様の語りかけを聞き、

目が開かれ、

水のある井戸がすぐそばにあることを見いだしたのです。


兄弟姉妹、

あなたはこのことから

何を受けとりますか?



【小さな祈り】


*今回は、聖句と黙想から

あなたが受け取ったことを、

主にお伝えし、

あなたの言葉で祈ってみてください。


まっすぐに、まっすぐに、

名にも飾り立てずに。








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