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執筆者の写真元気牧師

1月14日(土)




【聖句】


わたしは主、あなたの神、

あなたの右の手を固く取って言う、

恐れるな、

わたしはあなたを助ける、と。


(旧約聖書・イザヤ書41章13節)



【黙想】


幼稚園の子どもたちと、

伊勢の朝熊山に

登りました。


園長の私は、

行き帰りのほとんどの道のりを、

年少さんのある男の子と

一緒に歩きました。


彼の右手を固く握って、

急坂も岩場も、

石段も吊り橋も。


歩くことに不慣れな彼。

少し疲れてくると

体も心もフニャフニャになって、

「登れやん(登れない)」

「もういやや」

「おなかすいた」

その他、ありとあらゆる

フニャフニャの言葉を連呼します。


脚の踏ん張りがきかず、

滑ったり、

転びそうになったり、

何度も立ちどまろうとしたり。


わたしはそのたびに、

なんとか励まそうと

あらゆる言葉を注ぎ、

ときに糸繰人形を

あやつるかのようにして

転んだり滑ったり

軟体動物のようになったりする彼を

支え続けました。


わたしは、

そんな彼の姿を見、

言葉を聞きながら、

そして彼が

右の手を固く支えられて

歩き続けている様子を

となりで見つめながら、

心底思いました。


私も、この子とおんなじだ、って。


私は高校三年生の時に受洗し

ほぼ同時期に牧師への召しを

与えられ、

19歳のときに神学校に

進みました。


その後25歳で

伝道者としての歩みを始めました。


当時は九州教区というところに

おりましたが、

当時は教区で

最も若い牧師だったと

聞いたことがあります。


あの時以来、今日まで、

本当に、

弱音を吐き、

もう歩けないと叫び、

もうダメだとくずおれ、

「ここいやや」とつぶやいたように、

私も、厳しい現実に

何度もくじけそうになりました。

というか、くじけながら

歩んできました。


ほんとに、ほんとに、

あの子と一緒。

あの子のまんま。


だからこそ、

私は実感を込めて

申し上げることができます。


そんな私を、

主の御手が、

主の御声が、

常にささえ、力づけ、

助けてくださったのだ、と。


本当にそう。

本当にそう。


「先生が手、握ってるから、

 大丈夫だから、

 さあ、いこう、

 立てる!

 歩ける!

 もう少し、もう少し!」


そう言いながら、

ギュッと手に力を入れる。


半泣きの彼が、

フラフラの足で

立ち上がる。


思わず胸が、

熱くなる。


わたしもそうやって

ここまで来たから。


これからもそうやって

歩んでいくから。



【小さな祈り】


主よ。

あなたは私の右の手を

固くとり、

私一人では歩けない道を

歩めるように

助けてくださる方。

わたしは今日まで

ずっとそうやって

歩んできたのです。

何度、弱音を吐いたでしょう。

何度、もうダメですと

叫んだでしょう。

何度、あなたの御言葉を

あなたの真実を、

振りほどこうとしたことでしょう。

しかしその度にあなたは

限りない忍耐と、

底なしの慈しみにより

私の手をギュッと握り、

わたしが握力ゼロのときでも、

転げ落ちないように

助けていてくださいました。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。









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