【聖句】
夕べになっても光がある。
(旧約聖書・ゼカリヤ書14章7節)
【黙想】
なんと慰め深い聖句でしょうか。
キリスト教主義の高齢者施設などに
しばしばこの聖句が
掲げてあるのを目にします。
夕べになっても、光がある。
この光というのは、
太陽の光とか蛍光灯の明かりのこと
ではありません。
太陽が沈んでもなお、
明かりが消されてもなお、
内なる望みが消えてしまってもなお、
たった一つ、
決して消えることのない光。
それは私たちの信じる
主なる神様ご自身のことです。
昼の空にも
星はまたたいていますが、
夕べにならなければ
星は見えません。
夕べは、
昼には見えなかったものが
見えてくる。
夕べになるにつれて
輝くを増してくる光がある。
夕べになっても、光がある。
その光は、
夕べになってからはじめて
登場してくる光ではなく、
朝にも昼にも、
いつもそこにあった光です。
その光が、
光である神様が、
見えるようになる。
もっと分かるようになる。
それが、信仰者にとっての
夕べなのだと聖書は言うのです。
聖書はやさしい。
神さまは、おやさしい。
夕べになっても、光がある。
やさしい言葉。
やさしく抱きしめてくれる
神さまの約束。
【小さな祈り】
天の父、私の神様。
やさしくて静かな、
でも力強く確かな
約束の御声を聞きました。
夕べになっても、光がある。
なんと慰め深いお約束でしょう。
どうか私の夕べが、
あなたとより親しくなり、
あなたの光をよりさやかに
見いだすことのできる、
人生最良のときとなりますように。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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