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執筆者の写真元気牧師

1月11日(木)



【聖句】


主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。


(旧約聖書・イザヤ書44章8節)



【黙想】


詩編23編は、大変牧歌的で平和な印象を受ける詩編ですが、

実は「牧歌的」とは程遠い荒れ野がその舞台となっているのです。


聖書の時代、聖書の土地における羊飼いたちの仕事は、

羊たちを外敵から守りつつ、彼らを憩いのみぎわ、

緑のまきばに導くことでした。


見渡す限りの荒涼とした荒れ地。

そこにわずかばかり点在する青草の原。


羊飼いはいつも荒れ野を歩きながら、

羊たちを青草の原、憩いのみぎわに伴うのです。



ダビデは言いました。

・・・・ 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

・・・・


荒れ野で青草の原、憩いみぎわを見つけることは至難の業です。

同じように、波乱万丈を絵にかいたようなダビデの荒れ野人生において、

常に、どんなときにも「青草の原」を見出すのは、

ほとんど不可能なことでしょう。


しかし、ダビデは告白します。

羊飼いである主が、

自分のために絶えず、すべての必要を備えてくださっていると。


エルサレムの王宮でも、荒れ野の洞窟でも、

どこにあってもです。



わたしは思います。

これはダビデだけの特権ではありません。

あなたもわたしも、主からすべの必要を満たしていただいているのです。


問題は、私たちがそれに気づけないこと。


私たちは「足りない、足りない」と言います。

主は「私の恵みは、あなたに十分」とおっしゃいます。


「わたしにはあれが足りない、これがない・・・。」

このような思いは、実は、

そのように思いこまされているだけなのかもしれません。


本当は私達も「わたしには何も欠けることがない」って言えるはずなのに、

神さまと私の間にいろいろなものが入り込みすぎて、

自分が不足している、乏しい、貧しい、不幸だと思い込まされてしまっている。


身の回りには恵みが溢れかえっているのに、

「感謝、感謝」ではなく、「ない、ない」とつぶやいている。



大きな災害に見舞われ、避難生活を余儀なくされるとき、

私たちは「一日も早く日常が戻りますように」と願います。


日常・・・。

平時にはなんとも思いっていなかったようなことが、

非日常時には輝く宝物に思えてくるのです。


あなたの日常は、奇跡なのです。

あなたの今日は、今は、この上ない恵みの賜物なのです。



ダビデは主なる神様にこう言いました。

・・・・

わたしを苦しめる者を前にしても

あなたはわたしに食卓を整えてくださる。

・・・・


ダビデは今、目の前にある食事に、神の奇跡を見ています。

一杯の味噌汁に涙を流しつつ、

神の恵みを味わっています。



あなたには、ほんとうに、

まだ何かが足りないのでしょうか。













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