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1月11日(木)

  • 執筆者の写真: 元気牧師
    元気牧師
  • 2024年1月11日
  • 読了時間: 2分


【聖句】


主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。


(旧約聖書・イザヤ書44章8節)



【黙想】


詩編23編は、大変牧歌的で平和な印象を受ける詩編ですが、

実は「牧歌的」とは程遠い荒れ野がその舞台となっているのです。


聖書の時代、聖書の土地における羊飼いたちの仕事は、

羊たちを外敵から守りつつ、彼らを憩いのみぎわ、

緑のまきばに導くことでした。


見渡す限りの荒涼とした荒れ地。

そこにわずかばかり点在する青草の原。


羊飼いはいつも荒れ野を歩きながら、

羊たちを青草の原、憩いのみぎわに伴うのです。



ダビデは言いました。

・・・・ 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

・・・・


荒れ野で青草の原、憩いみぎわを見つけることは至難の業です。

同じように、波乱万丈を絵にかいたようなダビデの荒れ野人生において、

常に、どんなときにも「青草の原」を見出すのは、

ほとんど不可能なことでしょう。


しかし、ダビデは告白します。

羊飼いである主が、

自分のために絶えず、すべての必要を備えてくださっていると。


エルサレムの王宮でも、荒れ野の洞窟でも、

どこにあってもです。



わたしは思います。

これはダビデだけの特権ではありません。

あなたもわたしも、主からすべの必要を満たしていただいているのです。


問題は、私たちがそれに気づけないこと。


私たちは「足りない、足りない」と言います。

主は「私の恵みは、あなたに十分」とおっしゃいます。


「わたしにはあれが足りない、これがない・・・。」

このような思いは、実は、

そのように思いこまされているだけなのかもしれません。


本当は私達も「わたしには何も欠けることがない」って言えるはずなのに、

神さまと私の間にいろいろなものが入り込みすぎて、

自分が不足している、乏しい、貧しい、不幸だと思い込まされてしまっている。


身の回りには恵みが溢れかえっているのに、

「感謝、感謝」ではなく、「ない、ない」とつぶやいている。



大きな災害に見舞われ、避難生活を余儀なくされるとき、

私たちは「一日も早く日常が戻りますように」と願います。


日常・・・。

平時にはなんとも思いっていなかったようなことが、

非日常時には輝く宝物に思えてくるのです。


あなたの日常は、奇跡なのです。

あなたの今日は、今は、この上ない恵みの賜物なのです。



ダビデは主なる神様にこう言いました。

・・・・

わたしを苦しめる者を前にしても

あなたはわたしに食卓を整えてくださる。

・・・・


ダビデは今、目の前にある食事に、神の奇跡を見ています。

一杯の味噌汁に涙を流しつつ、

神の恵みを味わっています。



あなたには、ほんとうに、

まだ何かが足りないのでしょうか。













 
 
 

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